自分だけだろうか、「こういう時、どうすればいいんだ!」という場面がよくある。
そういう時は、人間としての経験が足りないなあと感じてしまう。
以前、島田紳助さんが言っていた「ムカつくヤツは人間1回目なんだと思えばいい」というのを思い出す。
輪廻転生という、いわゆる生まれ変わりというものだ。
政治家や総理大臣になるような人物は、何度も生まれ変わり、何度も人間を経験し、徳を積んだ人間じゃないとなれない。
逆に理解できない行動をとるようなヤツは、今まで一度も人間を経験していないので人間の常識が分らない。
そう思えば腹が立たないということらしい。
むしろ上から目線でちょっと可哀想と、哀れみの目で見ることができるというのだ。
自分は人間1回目なんじゃないかとよく思う。
人間の当たり前がよくわからないことが多い。
そういえば昔から「勉強していい大学に入り、いいトコに就職しろ」とか、「結婚して、子供を育てろ」とか言われても、理解できなかった。
「何で、そんなことしなきゃいけないだろう?」とずっと思っていた。
人間経験がないので、人間の常識が分らないんだろう。
じゃあ、自分の前世はなんだったんだろうか。
先述の島田紳助さん曰く「変な虫」だそうだ。
なるほど。そうかも。
でも、考えてみたら変な虫が生まれ変わって人間になるってすごくない?
よっぽどすごい虫だったんだろう。
もしかしたら、伝説になるような虫だったのかもしれない。
例えば、こんな感じ?
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もはや、虫とは思えない。
昆虫界の常識を打ち破った、伝説のカマキリ。
あ、もう勝手にカマキリになっちゃったけど。
まあ、でもそんなすごいヤツだったんじゃないだろうか。
もう、オーラがハンパない。みたいな。
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もはや、カマキリ界では知らないものはいないほどのカリスマだったキリ太。
そんなキリ太の親友、キリ男とキリ三はいつもキリ太を尊敬・羨望の眼差しでみていた。
キリ男とキリ三にとっては、キリ太は自分達の希望の星。
キリ太がどんどんビッグになっていくの誇らしかった。
キリ太もいつしか、自分を応援してくれる人達のために頑張ろうと思うようになる。
もはや村の誇りとも言われるようになったキリ太は、日本中のカマキリの憧れだった。
以降、キリ太伝説は長く語られ続けることになる。
数百年経った今でも、ある地域ではキリ太の信仰が残っているところもあるらしい。
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もちろん、最後は虫としての宿命を受け入れるのだが。
死ぬまで、いや、死んでも、カマキリ界の英雄として数百年語られるカリスマだった。
そんなカマキリ界の英雄が時を経て、人間として転生して、今ここにいる。
人間としての経験は少ないかもしれないが、自分には応援してくれる、仲間がいる。
キリ男やキリ三などを始め、英雄に憧れる多くのカマキリ達の為にも、自分はかっこよく生きないといけない。
キリ太に憧れた数百年間分のカマキリ達の期待がこもっているのだ。
その思いと期待を裏切るわけにはいかない。
そう思うと、自分は自分らしく、かっこよく生きたいと思う。