以前、このブログでも紹介したが、私の大好きなマンガ「ピアノの森」があまりに感動するので、どうしてもこの感動を誰かに伝えたい。
誰に話しても、皆「へ~」で終わってしまう。
いや、まあそれ以外にリアクションの仕様がないのは分かるが、それにしても、私がいくら熱く語っても伝わらない。
ホントに感動するんだって、最後の方なんて登場するキャラもほとんどが泣いてるんだから。
自分なりに、この感動的な話の一番のポイントを考えると、やはり阿字野壮介の存在だろう。
このかつての天才ピアニストとがすごすぎる。
そんな阿字野壮介の、自分が大好きなシーンをいくつか紹介させて欲しい。
ホントに泣きそうになるから。
壮絶な転落人生
まずは、事故により婚約者とピアニスト生命を失い、指導者としての道を用意されるも、10年後それすら失ってしまうシーン。
輝かしい栄光の自分のパネルを横目に去っていく。
寂しい、悔しい・・・複雑な思いだ。
この指導者ってのも気休めな感じはする。
第一線で活躍してたピアニストに、事故にあってピアノが弾けなくなったら、「じゃあ指導者になってね」というのもなんかよくある話っぽい。(分かんないけど)
でもやはり、事故直後はさすがに現実を受け入れられず、かつての自分の音を求めるあまり、「昔の自分の音以外は認めない」みたいなことになっちゃうのかな。
生徒からの評判が悪い。と言う理由で解任されるんだけど、これも結局は厄介払いみたいで、よくある話っぽい。分かんないけど(2回目)
どん底
ピアニスト阿字野壮介の特注のピアノは鍵盤が重くしてあり、普通の人にはかなり弾きにくいようになっている。
鍵盤が重いと強弱がつけやすい。
その代わり、1音1音はっきりと弾く必要がある、早弾きなどで、音が甘くなりやすい。などのデメリットもある。
これは、それぞれの好みではないだろうか。
私の印象では、上級者ほど鍵盤が重いほうがいいという傾向にある。(自分調べ)
その特注ピアノだが、当初はピアニスト志望の学生達に縁起物としてありがたがられていたのに、ただ同然で払い下げられ、ストリップ小屋に置かれていたが、そこからさらに、森の奥に捨てられてしまっていた。
そんな、ピアノと自分を重ね、絶望する。
「何故、私はあの事故で死ねなかったのか」
何度も出てくるこの台詞も、後に涙を誘う為の布石だったのかもしれない。
親の気持ち
父親のいない海。
子供のいない阿字野。
この師弟関係が、親子関係のようになっていったのも感動的。
海の境遇があまりにひどかった為、阿字野は海をピアニストとして育てるためにしなければならない事が多すぎた。
その劣悪な環境から抜け出すために二人とも覚悟を決めた。
これが、師弟関係の絆をさらに深めたのだろう。
子供が大きく成長していく姿は、何にも変えがたい、貴重な体験だと思う。
卑怯なのは阿字野が「親の気持ちはこんなものなのかな」と考える時、「事故で全て失くしたので、親にはなれなかったが」と頭につけること。
そりゃ泣いちゃうよ。
ピアニスト阿字野壮介復活?
もう何十年も、自身でピアノを弾くことをあきらめてた阿字野がついに、現代医療で左手が動くようになったシーン。
もう涙がこみあげてきます。
師匠は「かつての自分を超えろ」という。弟子も師匠を超えたいと願う。
師匠は超えるべき、高い目標であり続けなければならない。
世界中が忘れていない、天才ピアニスト阿字野壮介。
その復活の最初の一歩。
これからどうなる~って考えただけで泣きそう。
天才ピアニスト
手術すれば、海の練習の為、ピアノは弾いていたので、筋力の衰えもそんなにないと思われ、リハビリ次第で、復活はなるはず。
しかし、リハビリは思うように進まない・・・。
ピアニスト阿字野壮介はこのマンガに出てくる登場人物全員が影響を受け、その復活は待ち望んだ最高の結末だ。
25年ぶりのリサイタルは、世界中が注目する。
今まで出てきた登場人物が、阿字野壮介のピアノに色んな思いを持っていたもんだから、最終回で、阿字野壮介のリサイタルで、みんな泣きまくる。
もう、この最後の一話だけでも泣けるわ~。
いい演奏が聴けた時、いい演奏ができた時、色んなものに感謝したくなる気持ちはなんとなく分かる気がする。
普段、何気ない生活のなかにも、多くの人達の、多くの気持ちがあることを忘れちゃいけないなあと感じてしまう。
最後に
ずっと思っていたことが吐き出せてよかった。
自分的にできるだけネタばれて的な事は避けたかったのだが、結局最後までいっちゃった。
今回は阿字野壮介に限定したシーンなので、まだまだいいところはたくさんあります。
これを気に「ピアノの森」で同じように感動したと言う方が少しでも増えれば幸いです。
なんか、我慢できずにすみませんでした。